レーサーとして エンジニアとして その先を見る

VOL.281 / 282

河野 駿佑 KOHNO Shunsuke

レーシングドライバー

1995年生まれ。東京都小平市出身。レース界の老舗メンテナンスガレージ「アールエスファイン」の河野高男氏を父に持ち、幼少期から車とレースに触れて育つ。レーシングカートを経てスーパーFJ、FIA-F4、スーパー耐久、F3、スーパーフォーミュラ・ライツ、SUPER GTと順調にステップアップし続けている。

HUMAN TALK Vol.281(エンケイニュース2022年5月号に掲載)

レース界の重鎮、アールエスファインの河野高男氏を父に持つ河野駿佑氏。
幼い頃からレースが日常であった氏のレースに対する思いや未来について考えていることに迫った。

レーサーとして エンジニアとして その先を見る---[その1]

 親から聞いた話では私のサーキットデビューは0歳だったそうです(笑)。父(前回掲載のアールエスファイン・河野高男氏)がレースのメンテナンスガレージを営んでいたこともあって、物心ついた頃にはクルマやレースは当たり前のように周りにある環境で育ってきました。小さな頃から父のガレージにちょくちょく遊びに行っては車を見ていましたし、小学校に上がる前から母親と一緒にサーキットに行ってはピットでちょろちょろしていたそうです。父は土日はもっぱらレースで家にいないことが多かったんですけど、自分もサーキットに遊びに行っていたので寂しいとは全く思いませんでしたね。父もその頃すでにメカニックというよりエンジニアでしたので、ピットの中では人と喋ったりパソコンを触っていることが多いわけですよ。そんな父を見て「パパはなんで遊んでるの?」って言ったらしいです(笑)。車をいじるのが仕事だと思っていたので遊んでいるようにしか見えなかったんですね、きっと。父はちょっとショックだったらしいですけど。

2014年スーパーFJ鈴鹿シリーズでチャンピオンとなる

幼少期はサーキットが遊び場だった

遅まきながらのレースデビュー

 現在レーサーになっている人って大概は小さな頃から、それこそ小学生になる前からカートを始めていることが多いんですけど私は違うんですよ。親も無理にやらせようとはしなかったし、自分も地元の少年野球チームに入ったらそっちが楽しくなっちゃって。そのチームも地区大会で優勝、準優勝するような結構強いチームでそこでレギュラーだったんですね。そんな小学校6年生のある日、突然父から「そろそろカート始めるか?」って聞かれたんです。カートももちろん興味はあったけど、野球も大好きだからすごく悩んだ挙句、土日は野球、平日は放課後にカートの練習をすることにしました。これがドライバーへの第一歩でした。中学へ上がる時に、さすがに野球との掛け持ちは無理だと思ってカート一本に絞りました。カートはローカルレースから始めて全日本のシリーズにも参戦し、トニーカートのワークスチームにも入れていただきましたが、正直カートの戦績はそんなに誇れるものではありませんでしたね。それもあって2013年からはスーパーFJの方にシフトしていきました。最初はHパターンのギアチェンジに慣れなくてそこに苦労しましたね。それとまだ免許を持っていなかったので、スタートにどうしても苦手意識を持ってしまって最初の頃はスタートのミスで順位を落とすこともよくありました。ただその年最後に鈴鹿で行われるスーパーFJ日本一決定戦では30台から40台ほど出場した中でポールポジションも取って今でも破られていないコースレコードも記録しました。レースの結果はといえばやっぱりスタートで順位を落として3位と2位でしたが(笑)。

世界有数のカートメーカーTONY KARTのワークスドライバー時代

高校2年から GTの世界を垣間見る

 高校卒業後に進路を考える時には自然とレースの世界に入ろうと考えていました。高校も自動車関係の学校で3級整備士も取れましたし、高校2年の頃から父のファクトリーでメカニックの見習いをやらせてもらっていたんです。だから自然と卒業したらアールエスファインに就職する気でいましたね。ただ最初は本当に車に触らせてくれませんでした。やっていたことは掃除やタイヤの管理からですね。レースで使う沢山あるタイヤセットの窒素入れ替えとか内圧調整にはじまり、徐々にタイヤ交換もやらせてもらったりと少しづつもらえる仕事は増えていきました。そんなわけでかれこれ10年以上GTは全戦行ってるんですよ。2012年から基本的に行ってますね。さすがに自分が出場するレースと被る時は休ませていただいてますが。2018年ごろからはデータエンジニアをやらせていただいて、現在ドライバーとして参戦しているGT300でもそんなメカニックやエンジニアでの経験が生かされています。一方ドライバーとしては2015年からFIA-F4、2017年にはスーパー耐久、他にもF3やGT300などフォーミュラ、ハコ車を問わず乗らせていただいています。一昨年よりLM corsaに加入し、レクサス・RC-F GT3 昨年からはトヨタ・GRスープラ GTでGT300に参戦しています。
 父のアールエスファインがメンテナンスをしているGOODSMILE RACINGさんとはライバル関係にあたるわけですけど、車もタイヤも全く共通点が無いのでどちらも参考にならないというか、家でもあんまりバチバチなんてしないですね(笑)。

2017年FIA-F4参戦時

HUMAN TALK Vol.282(エンケイニュース2022年6月号)に掲載

レーサーとして エンジニアとして その先を見る---[その2]

 スーパーFJでは父のガレージにマシンの面倒を見てもらっていたんですね。「関係が難しくないの?」ってたまに聞かれるんですけど、サーキットでは親子である以上にドライバーとエンジニアっていう関係が強いので、はたから見たらどうかわからないですけどそこは自然とサーキットでの上下関係ができてるというか、父にも敬語で喋るようになっていましたね。幼い頃からサーキットの父のガレージで遊んでいた名残もあって最初は難しかったんですけど。自分も子どもから大人になっていくにつれて、父のすごいところや、逆に弱いところとかがだんだんと見えてきて、そういうことも全部ひっくるめて父の見え方って変わってきました。でも父は本当に根っからのレース好きっていうか、負けず嫌いなんだなって「ああ、この人はレースが無くなったら生きていけないタイプの人間なんだな」って思いますね。まあ僕もそうかもしれないですけど(笑)。

2021年スーパーGT第8戦富士で優勝

2022年第2戦 富士

エンジニアの経験とドライバー

 昔からピットでデータロガーと睨めっこしたりメカさんの手伝いをしていた経験って自分が走る立場になった時にやっぱり役に立ってるんですよ。高校2年の時からメカニックの見習いをしていたおかげでスーパーGTの世界をもう10年の間見ているわけです。GTは日本のトップレースっていうこともあるしお客さんも沢山入りますんで独特の雰囲気があります。そんなレースを現場でずっと見ていると頭の中で色々なイメージ、こうなったらこうしようとか駆け引きとかが記憶に残っているんです。昔からトップドライバーが身近にいて、そんな人の言葉や何気なく聞いている無線なんかも含めて勉強になったというか、間違いなく僕の強みかなと思っています。
 ドライバーとしてエンジニアさんと車について話す時も例えばアンダー、オーバーって言った時にそれは低速コーナーなのか高速コーナーなのか、入口なのか真ん中なのか出口の話なのか、そういう細かいところを伝えてあげたほうが答えを出しやすいし車に何をしようかということも的確にできると思うんですね。ただ、このパーツをこうしてとか方法についてはやっぱりエンジニアさんそれぞれの考え方、やり方があるのでそこは尊重して任せます。逆に言えば私たちはコース上で速く走ることが仕事で、エンジニアは戦略だったり、クルマ作り、セットアップを考えるのが仕事。お互いチームの中で自分の持ち場で最大限の努力と力を発揮するということですね。チーム内でのドライバーとエンジニアという信頼関係は大切に考えています。

データエンジニアとしての顔も

自動車とレースの未来を 多角的に考える

 コロナ禍でレースが開催できなかった期間でのファンサービスの一環としてGTドライバーが『グランツーリスモSPORT』上で擬似レースを行う「SUPER GT ヴァーチャルシリーズ」という企画がありまして、今年は私も少し参戦させてもらったんです。ドライバーとファンとの新しい関わり方だなと思いましたし、こういうことでもファンの方に喜んでいただけることができるんだと新しい発見でもありました。
 今、ジェントルマンドライバーの方にサーキット走行をレクチャーするお仕事もしているんです。人生を賭けて速く走るのではなく、あくまでエンジョイが目的の方がほとんどですが人に合わせてアドバイスを変えたり、データロガーを見て的確にアドバイスしたりとドライバーやエンジニアとしての経験をフィードバックして一般の車好きの方に還元するということもレーサーと社会の新しい関わり方ですよね。自動車が自動運転になってきてマニュアルで運転するのは趣味の世界になってきたらこのようなニーズって高まっていくかもしれません。私はまだドライバーとして突き詰めていきたいという考えはあります。どこまでいけるかわかりませんし、本当に一年一年の勝負で毎年シートが約束されているわけでは無い厳しい世界です。一方でアールエスファインの人間としてどう力になれるかということも考えています。そのように未来の変化を視野に入れながら、自分の将来を多角的に考えて仕事を広げていけたらなと思っています。

ジェントルマンドライバーにコーチング中

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